【最終回】忘れられない「美女ジャケ」サイドストーリー【美女ジャケ】
【第17回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■ヴァイナル・ジャンキーが陥りがちなレアもの収集沼
筆者の美女ジャケ収集は、ほぼ2003年には終わって、単行本企画を出版社に売り込み始めた。企画書からレイアウト案まで、どの本でも完璧なものをつくって単行本にしてきた自負がある。でもこの企画は3~4社当たって通らずに、なんとなく諦めてしまった。他の仕事も忙しかった。
そうなると処分したい美女ジャケ・レコードも増えてくる。ヤフオクで売ったりして減らしはするのだが、なんとなく未練がある。これも恋愛と同様。
もう終わった、と思っていたのに、ふと「美女ジャケ」なんて入力して検索したりする。そんなことをしていると、すでに完璧と思えたコレクションにも、「いや、これ持ってないとヤバいでしょ」みたいなのに当たったりするのだ。
それがザヴィア・クガートの「Cha Cha Cha」。何が最高かって、美女のこの身体のひねり具合だ。いかにダンスが優れていても、この一瞬のポーズを写真に収めることは難しい。なんという肢体の美しいひねり! そう感じたのだ。
モデルはクガート楽団の専属歌手であり、のちにクガートと結婚し、別れたアビ・レーン。アビ・レーンのアルバムもクガート楽団のアルバムもそこそこ持っていたのに、これは穴だった。
こんな最高のポーズの美女を手に入れないわけにはいかない。こうして一度、終わった恋だった美女ジャケに新たな収集が加わってしまうのだ。
最高の美女を迎えたときは、いつも壁に飾る。だいたい4枚くらい。おそらくいっぺんに4人以上の美女は愛せない、ということなのだろう。
このアビ・レーン~クガートで、もう打ち止めだと思った。きりがないのだ。それにポショワール刷り(日本の浮世絵のような版をつくって1枚1枚刷る)の1920年代ファッション・プレート収集に熱中し始めていた。もうお金がもたない。
そんな状態でもレコ屋があると、つい入ってしまう。ヴァイナル・ジャンキーにはこの感覚わかりますよね。入りたいわけではないのに、身体が吸い寄せられていってしまう感覚。
荻窪のちょっとショボい(現在も営業しているので、ごめんなさい)レコ屋に入って、輸入盤少ないし、オリジナルには当たらないよな…なんて思って見ていたら、なんとマントヴァーニ・オーケストラの「Romantic Melodies」の米オリジナル盤をみつけてしまった!
マスク・フェチの筆者には、これはもう幻のようなレコードで、エキゾものレコードの数々を紹介した洋書『Exotiquarium』で薄汚れたジャケ写真を見ただけだった。しかも400円。
レコードのデータベース、Discogsにもこのとき購入したものよりずっと汚いジャケのものが載っているので、いまのところ、この荻窪のレコード店発掘ものは、世界で最も美しいマントヴァーニ「Romantic Melodies」なのだ。
このあたりで筆者の美女ジャケ収集は終わるのだが、マントヴァーニのマスク美女のように、ちょっとヘンなジャケが大好きなので、この連載では、うまくテーマに添えずに入れられなかったジャケを最後にいくつか紹介させていただきたい。
ハーモニカ演奏者3人組のハーモニキャッツによる「THE CATS MEOW」は、大きな虎のぬいぐるみに寄り添う美女のくねったポーズが最高のジャケットだ。ドレスはクリスチャン・ディオールみたいな雰囲気なのに、ぬいぐるみで笑わせてくれるところも良い。
このアルバムは、モンド・ミュージック好きの聖書といえる『Re/Search』誌「インクレディブル・ストレンジ・ミュージック」特集に掲載されていて、この雑誌を1994年にロサンゼルスで買って以来、ずっと探し続けた。
ハーモニカ演奏なんて、ちょっとね、と思うところなのだが、ジャケの良いアルバムはたいてい内容も良い、というなんとも不思議な歴史的関係性があってか、こちらもすこぶる良い。
いろいろ調べてみるとハーモニキャッツの1958年のTV出演映像がみつかった。そのときの女性司会者がこのジャケの美女にそっくり! 同一人物かは不明だけれど、美女ジャケ探求には、そういう愉しみもあるのだ。
同じく『Re/Search』誌「インクレディブル・ストレンジ・ミュージック」特集の表紙に載っていたのが、マレット奏者、ハリー・ブリュアの「MALLET MISCHIEF」で、これはストレンジ・ミュージックという特集タイトルと同じくらいストレンジな引力がジャケにあった。
とくに肩なしのドレスのスリットから白い下着が見えている、無防備さというか杜撰さというか、底抜けというか、そこがとても良かった。
そしてこのアルバムもたいへん出来が良いのだ。同じアーティストでもジャケが良いものほど内容も良いというのは、多少の先入観もあるのだろうけれど、レコード・コレクターなら同意してくれるだろう。
このアルバム写真について調べていたら、使われなかった別カットがあることを発見。なんと下着は見えてないのだ! あぁ、美とは完璧な調正のなかにあるものではなく、アナキスト大杉栄が言ったように、乱調のなかに潜むものだと実感した次第。
ちなみにこのあたりのレコードは、最近めっきり見なくなったし、出るとそれなりの価格のようなので、深みにはまらないように、と忠告しておきます。